京都府

Date:2008-11-17 15:41

陝西省と日本京都府は1983年7月16日友好都市関係を結んで25周年に今年は迎えてきました。過去の25年間、両省府は教育や環境保全や文化などの分野で多大な交流がありました。

一、 陝西省と京都府との歴史的な縁

陝西省と京都府は中日友好の源であり、両地域の友好関係は千年を乗り越えてきました。中日友好の先駆者たちは中国陝西省の古代長安城と日本京都の平安城でそのしるしを残しました。小野妹子、阿倍仲麻呂、空海は中国人から馴染みがある名前ばかりです。小野妹子は中国の隋代の時、使者として、中国を訪ね、その後、中国の園芸と生け花技術を日本に伝え、本日の日本の華道は当時小野妹子が生活した京都頂法寺から民間に広く伝わったのです。阿倍仲麻呂は傑出した日本の留学生であり、50年間長安で生活し、唐時代の重要役人にも抜擢されました。今日の西安興慶宮公園でその阿倍仲麻呂記念碑が建てられています。空海は著名な遣唐使学問僧であり、かつて、唐時代の長安青龍寺で仏法を学び、帰国後、中国の文化と仏教を積極的に伝え、漢字の草書の偏ぼうを利用し、日本文字の平仮名を創立し、そして、真言宗の創設者になりました。京都のの東寺は空海が仏法を伝えた場所であります。

もし京都にいれば、どこでも、いつでも、その古長安城の面影が目に浮かびます。日本文化の中にその濃い中国文化の香りが容易にめぐりあうことができます。古代にしろ、近現代にしろ、中日間にその切っても切れない縁があります。

前の世紀はじめのころ、周恩来総理は日本留学し、京都で半年間生活し、今でも、京都嵐山の記念碑から周恩来の詩“雨の中の嵐山”を読めます。1972年、中日国交正常化実現し、日本政府から中国政府に松の木を贈られ、周恩来総理の指名で、中日友好の源である長安で植えられました。今日にその中日友好のシンボルである樹はひとつひとつの春と冬を乗り越え、生き生きと生きています。

以上の縁があるからこそ、中国の改革政策実行前後、中日双方の有志の士のたゆまぬ努力の下、西安市と京都市、陝西省と京都府は友好都市を結ぶことができるようになりました。

二、 陝西省と京都府は友好都市を結ぶ政治背景

1983年7月16日に陝西省と京都府は友好都市を公式に結び、西安市と京都市は1974年5月10日にその姉妹都市を結すんだことはわが国の当時の外交戦略に合うことでありました。1973年から78年まで、わが国は6ペア友好都市を結んだが、日本の都市との友好都市ばかりです。その中には、西安市と奈良市が含まれています。こうした友好都市友好提携は“民間先行き、民を持ち官を促す”によるもので、中日関係にプラスになりました。

西安市と京都市はその友好関係があるから双方は沢山の分野での交流を進められ、より一層の友誼を深められ、そして、両省府の関係展開に一助となりました。1979年前日本法務大臣である林田悠紀夫は京都府知事を当選された後、すべての外国の友好願望を持つ都市と友好都市関係を結びたいとの方針を採ってきました。西安市と京都市との友好関係提携のことへ支持を示しただけではなく、これをベースにして、京都府と陝西省との友好都市関係樹立実現のため、沢山の京都府各界の人々に陝西省をたずねてもらいたいといい、京都府からも陝西省に知事陝西省へ訪問の招待状を依頼しました。1979年10月、陝西省人民対外友好協会と西安市政府と一緒に林田悠紀夫京都府知事引率の友好代表団24名を招待することにしました。訪問の間、知事は当時の陝西省省長于明涛に陝西省と友好提携を結びたいと伝えました。林田知事帰国後、省長于明涛へ手紙を書き、陝西省から農業代表団を派遣してくださいとの依頼がありました。1980年5月、中国国務院からの許可を得て、白紀年副省長を団長とする陝西省農業代表団が日本を訪問しました。林田知事は京都滞在中の視察団に中日両国人民の福祉促進のため、京都府と陝西省との友好関係は大変必要で、これにしたがって、両省府間の経済、科学技術の協力を進めていきたいと再三にわたって申しつけました。林田知事はその後何承華副省長が引率する陝西省および西安市経済代表団にまたその希望を言い出しました。この背景の下、陝西省は1980年10月に国務院に友好都市を結ぶレポートを提供することにしました。

1981年、林田知事は数回にわたって、省政府に手紙をかき、1982年5月、李連壁副省長が北京で会議に出席した場合、中国人民対外友好協会のリーダーに省から京都府と友好都市締結の願望漏らし、そしてその場で、中央が原則的に賛成すると知らせられました。この間、全国友好協会の王炳南会長と駐日本大使符浩からも支持を得ていました。

3年間のたゆまず努力の下、双方は83年4月、桜満開のころ、友好提携を結ぶことに賛成しましたが、この間、日本の全国選挙があるので、7月16日その友好提携協議書を公式にサインしました。

三、 京都府との交流

25年以来、陝西省は教育、環境保全、文化、体育と貿易などの分野で実質な交流が京都府と展開しました。

1、 教育

1984年から今日まで京都府は前後陝西省の研修生68名を受け入れ、分野は行政、医学、農林、牧畜、体育、ホテル管理と日本語の勉強にわたっています。京都府は研修生の食、住まい、学費などに15504万円無償提供しました。こうした研修生は学業を終えて、帰国後、各部門の中堅になっています。例えば、陝西漢方薬医院の医師は京都医学大学での研修を終え帰国後、癌のコントロールと治療に新たな突破を実現し、西安道路プロジェクトエンジニアたちは帰国後、LC-100コールタール混合熱貯蔵箱と陽イオン乳化コールタール技術開発し、道路建設と舗装のスピードを大々的にアップすることができました。その他、京都大学教授は西安光華製薬会社の生産難題をいくつ解決することに助けたこともあります。

1998年から2007年にかけて、京都府は西安交通大学、西北大学と西安外国語大学三校のトータル180名貧困学生へ総額1000万円の奨学金を提供しました。

1993年から京都に拠点がある日本学士会(京都大学の卒業生から成立された組織)は陝西省教育国際交流会と毎年“陝西省における日本語学習大学生弁論大会”を主催し、その優勝者は日本への見学を招待し、今年(2008年10月19日)は15回を迎えて、京都府副知事麻生純はその場に出席し、優勝した学生に証明証書を手渡しました。

2、 環境保全

陝西省は中国北西部わりあいバイオ環境が弱い一つの省であり、水土流失が厳しい省でもあります。ですから、植樹と環境保全は陝西省人民対外友好協会の対外交流のポイントとなっっています。友好関係のルートを通じて、日本政府、日本の関係部門に無償援助植樹プロジェクトを申し込んで、例えば、“日本緑地球保護基金プロジェクト”は90年から毎年10万元を韓城市と銅川市の植林プロジェクトへ提供しています。

1997年12月からスタートして、“国連気候変化枠公約”第三回提携国大会は日本京都で開いて以来、京都府も環境保全を陝西省との協力のポイントを定め、まず、陝西省での植林事業を促すことにしました。

2004年から2006年7月かけて、京都府は三回分けて、

688万円を寄付し、中国側の48万元とともに、トータル100万元を、長安区南五台で“陝西省京都府友好交流林”を立てています。2007年11月までとすると、長安区林業局は樹58万本、103へークタール緑地帯の実現することに努力をはらっていました。

京都府民間の方も同林業局に180万円を寄付し、樹7万本と緑地帯43ヘークタールを完成しました。

2008年7月、京都府からわざわざチームを派遣され、陝西省水利庁、環境保全局などの部門と会談し、宝鶏市の汚水浄化工場などを視察しました。10月17日の両省府友好提携25周年イベントにあわせ、また環境保全チームを同地域に派遣しました。

3、 文化、教育と貿易

その友好関係締結記念をきっかけにし、双方は文化体育交流を利用し他の分野での交流を促進してきました。陝西省と京都府はともに両国の中日友好交流の源であるから、交流イベント展開するとき、感情的に距離感が短い。1985年から、地元劇秦劇の“千古の帝”、“空海は長安に”、“唐長安の楽舞踊”、“小さい白鳥歌舞団”は友好都市のルートを通じ、日本で公演されました。それと同時に、“大唐文物展覧会”や“陝西省輸出商品フェア”や“陝西省―日本協力ウェーク”も日本で挙行されました。京都府も“日本伝統芸術披露”や“現代若者街頭ダンスー”や“京都映画ウェーク”と“京都物産展”など同時に陝西省でやっていました。双方は25回にわたって児童書道展を主催し、10回“中日友好写真展”を催しました。1986年4月、両省府は3周年友好提携を記念する“太白山登り”を決行し、“中日友好都市ピンポン試合”を双方はやりました。

4、 産業分野での協力推進要努力

京都府の現代工業はすでにハイテク企業にそのポイントをしめされ、例えば、医療設備と航空設備を生産する島津製作所、応用陶磁器新たな材料と高級カメラを生産する京セラ、先進電気機の立石電気、婦人下着のワコ-ルなどの会社があります。そのほか、京都市の紡績、印刷業、宇治と綾部市の繊維製造業、舞鶴の造船業、平板ガラス、化学製品なども京都府の工業のなかその重要なポジションがあります。両省府はこうした分野でのより一層の協力を期待しています。

四、 忘れがたい25周年記念イベント

両省府はちょうど25周年提携記念イベントおよび“陝西―日本協力ウェーク”を準備するとたんに、5.12地震は中国で発生し、陝西省もその災害に見舞われたところのひとつです。双方の交流関係を気にして、省長は秘書長秦正を陝西省人民政府の特使と決め、陝西省代表団を引率させ、時間通り日本を訪ね、決まった訪問日程をスムーズに完成しました。

当時の特別状況への配慮から、双方は25周年慶祝イベントを記念に切り替えました。記念大会のはじめのころ、京都府府庁関係者、知名人士、経済、観光、文化などの友人は陝西省代表団と一緒に

200名以上の人々はキャンドルを手に携え、中国の地震死者に冥福をささげました。この場面は日本の歴史上ではかつてないことであります。日本の報道機関は大々的にそれを報道しました。その後、京都府、京都府議会および5003名の府庁職員は自発的に373万円を寄付しました。

続いて、10月17日、麻生副知事が引率した70名超えた京都府代表団は陝西省で袁省長はじめ、沢山の省のリーダーたちに歓迎され、西安翻訳学院で催された“25周年記念中日コンサート”はその3000人あまりの学生観衆をもう一度盛り上げました。中日の友好交流史上にもっとも重要なそして成果がある一年でした。